初夏の出来事


























それは夏になるにはまだ早くて、夜を肌寒いと感じる初夏の出来事。






もうそろそろ大会も近くなってきて練習に気合の入っているテニス部。

そのテニス部がある中学校こそ、聖ルドルフ学院である。

『ぅおー!』などとやけに勇ましい声の響くコートの中に、一輪のふくらみかけたつぼみのように愛らしい少女が声を張り上げて叫んでいる。

顔は十人並みではあるが笑えばそこそこ可愛いといえるくらいの彼女は

かの有名な聖ルドルフ学院中学男子テニス部のマネージャーをこなす2年生だった。






「1ねーんっ!! もっと声出してーっ!」


「は、はいっ!」






勇ましい声の中に高い声が響くためか、よく通る声をしているのか、の声には誰もが振り返って指示をこなしていた。

しかしこのように声を張り上げるのは仕事が無い時だけであって、普段はこれでもかというほど雑務があるのだった。

かくしては普通の平凡な女子では1ヶ月と持たない雑務を何食わぬ顔で終わらせることが日課でもあった。

だがこんなに雑務があるのは誰のせいだろう?

部員の誰もが健気に働いているを案じて1度は考えたものだ。

そしてたどり着く答えは皆同じ。もう1人の選手兼マネージャーである観月はじめである。

さすがに部長ですら真っ向から反対できないこの人にだけは誰も口出しできない為、無念にもは無駄に多い雑務をこなすのである。



そんなとき、部室から甘く、それでいて芯の通った声がに届いた。

その人こその過労原因である雑務を増やすマネージャー、観月であった。




、声を張り上げているところ悪いんですが少しこちらに来ていただけますか?」


「はい、なんですか?」






雑務増量マネージャーの観月もこのには少しだが甘かった。

だが彼は自分が勝利のシナリオを導き出す為に浪費している時間にどれだけ多くの雑務が蓄積されているかは知らない。

見た感じ頭脳明晰な観月も、それ以外の面では案外欠点も多いのだった。



ともかく部室のドアからひょっこり顔をのぞかせ、控えめに挨拶をしてみる。

その奥にはいかにも高そうな社長椅子に足を組んで座るマネージャーがいる。





「失礼します」


「そんなにかしこまらないでください。僕はただ解析結果を見せたかっただけなんですから」






そして彼は部長にすらめったに見せないデータの入ったUSBメモリを最新版のパソコンにつなぎ、立ち上げる。

2分もしないうちに画面を切り替えて解析結果を見せる。

現れたのはよく能力をグラフにあらわすときに使われる5角形のグラフ。

上には『赤澤吉朗』と書かれていた。







「どう思います?」


「んー・・・もうすこし柔軟性が欲しい・・・ですかね・・・?」


「んふ、正解です。あと瞬発力もまだまだ足りません。ということで」






観月はそれだけいうとに1枚の紙切れを渡した。

それは中学生がメモに使うにはもったいないくらいの上品な紙で、薔薇のイラスト入りの便箋だった。

その紙には栄養ドリンクや最近も足りないと思う備品の名前が羅列され、右下には『合計≦5000』と書かれていた。

要するに5000円以内に収めろということだろう。






「・・・買出しですか?」


「ええもちろん。どうですか?今から。なんならボディーガードもつけますよ?」




そういうと観月は優雅に足を組み替えて『誰がいいですか?』と問う。

でもにそんな質問の回答などできるはずもなく困惑する。





「んふっ、やっぱりあなたは可愛らしい人ですね、裕太君と一緒に行ってもらいますよ」





その言葉には少し顔をほころばせ、満面の笑みを浮かべた。

同じクラスであり同じ学年の不二裕太はテニス部の中では一番気軽に話せる相手なのだろう。





「・・・ありがとうございます」





謝礼を述べつつ頬を赤らめる。

先ほど言ったように、顔は十人並みでも微笑んだ顔は何にも負けないテニス部員の力になるのだった。






「気にしないで下さい」


「いえ・・・あ、そうだ。きっと帰ってきてたら部活終わっちゃいますから私教室から荷物持ってきます」


「それが賢明ですね。では準備が整ったら早速出かけましょう。赤澤には僕から言っておきますから」


「それは助かります、よろしくお願いします」





丁寧語の飛び交う会話の後、は教室へ。観月はテニスコートへ裕太を呼び出しに行った。

観月は男子の声の飛び交うコートの前まで来ると目で裕太を探した。




「裕太君!」






裕太はすぐに気が付いて観月の居るところまで走ってきた。






「観月さん・・・どうしたんですか?」


「実はを買出しに行かせようと思うんですけど、僕は見ての通りまだ仕事があります。

 ですから裕太君。と一緒に買出しに行ってくれませんか?」


「俺ですか?いいですけど・・・」


「何か文句でも?」


「い、いや、そんなワケじゃないですけど・・・観月さんはいいんですか?」


「何がですか」


「だって観月さんはのことが好きだってこの前・・・」





本心を言い当てられた観月はさすがに少しうろたえたようだ。

『この前』というのは去年の冬にあった合宿のことであり、つい観月がポロリと口に出してしまったことをレギュラー達は脳裏に焼き付けていた。






木更津と柳沢が裕太を連れ込み、部屋で暴露大会をしている時の話だった。






「裕太は今誰かと付き合ってるのかい?」


「やだな先輩。そんなわけないですって」


「ちょっと顔が赤くなってるだーね!きっと気になる子がいるんだーね!」





いつもどおり2人が裕太をいじって盛り上がってきた頃。

さすがに騒ぎすぎたため観月が忠告にやってきた。






「3人とももう夜です!すこしは黙れないんですか?」





だが木更津と柳沢はそんなことすらお構いなしで観月にも同じ質問をぶつけてみた。





「そ、そんなことは聞くものではありません!いい加減にして―」


ちゃんかい?」


「なっ・・・!」


だったんだーね!? これは速報だーね!! 赤澤ーっ!!」


「黙りなさい!! だいたいまだ付き合ってすらいませんよ!?」


「へぇー観月ってば片想いだったんだね。これも速報かな・・・フフッ」


「なんだー? 呼んだか? 柳沢」


「呼んだだーね! 観月ってばが―」






「いい加減にしなさい!!!!!」








聖ルドルフ学院などという大それた名前の割に、生徒は近くの公立中学校に通う生徒となんら変わらないのだ。

どこへ行ってもこの手の話はウケがいいらしく、無残にも観月はその犠牲にされたのだった。




そんな過去を思い出しながら裕太が言ってみる。

しかし急に目つきがやわらかくなったかと思うと、更には微笑んだ。





「ど、どうしたんですか?」


「その辺りは大丈夫です。」


「え?」


「さっきの反応を見る限りではまだ大丈夫ですよ。それにまだ潮時ではありませんから」


「そうなんですか・・・?」


「ええ。彼女はそういう子です」





いかにも自信があることが見え見えではあるが、それを悟られようとなんだろうとかまわないといった自信に満ちた顔だった。

裕太は観月が部活でにかかわっている時間より、自分が授業を一緒に聞いている時間の方が長いと思ったが。

しかしそれはさすがに言ってはいけないことであると瞬時に悟った為、心の内に留めておくことにした。






「では裕太君。行って来てくれますね?」


「わかりました」


「んふ、よろしくお願いしますね。あ、でも手を出してはいけませんからね?」





さり気に笑顔でその台詞を言ってのけると、観月は笑いながらなにやらノートに何かを書きながらコートを出て行った。

その場に取り残された裕太は赤澤に事情を話し、部室へと向かった。





コンコン




なにやらか細い音が聞こえたと思うと、部室の前にはが立っていた。

合皮のデコレーションが少し控えめな鞄を肩に掛けてメモを読んでいるところだったらしい。






「よっ


「お、来たね。 じゃあ行こっか」




そう言って2人は学校を後にした。

その後は裕太の助けなど全く必要ないくらい問題なくカゴの中に指定の備品を入れていく。

そしてレジに並んでバーコードから出た数字とは『\4,580』




「すごいな・・・


「そうかな、ありがとう。でもね、余ったお金は部に返すんだよ」


「そうだよな・・・じゃあ帰るか?」


「ううん、ちょっと待って。お花屋さんに行きたいの」


「花屋!?」





再び聞き返しても笑顔で『うん、そうだよ』とうなずくだけのに呆れ、しぶしぶついていった。

向かった先は花屋だが、普通の花屋とは少し違って飲食もできるという店だった。





「裕太は少し待っててね」


「え? はどうすんだよ?」


「ちょっとお花買ってくるね」





夕日が差し込んでいるテラスに1人待たされていたが、裕太の居る場所からレジが見えた。

が抱えていたのは薔薇の花束。

値札は『\420』

うまいこと経費を削減し、ちょうど5000円で所望の品まで買ったのだった。






「ただいま!」





息を弾ませて花束を抱えるは愛らしい。

特に恋愛感情を持ち合わせていない裕太でさえそう思う笑顔だった。




「遅れてごめんね・・・帰ろっか!」




そういわれて裕太は言われるまま寮に連れて行かれた。

は家が近いため、寮は家とは反対方向なのだが。

ほとんど会話の無い帰路につくと、寮の前には観月が立っていた。





「観月さん・・・」


「先輩・・・」



、あまり遅いと心配になるんですから。こちらの気持ちも考えてくださいね」


「わかりました。それと・・・これ」





差し出されたのは薔薇の入った花束。





「なんですか?」


「お誕生日おめでとうございます」


「んふっ、やっぱり知ってましたか。裕太君、君はもう寮に戻っていてくれてかまいませんよ。お疲れ様です」


「部費から出したのであんまりいい感じしませんけどね」





『すみません』と言いながらも照れると、花束を持って呆けている観月をレギュラー陣は部屋の窓から見ていた。

観月は我に返ると花束を寮の傘立ての上に置いた。






・・・ありがとうございます」





感謝の言葉と同時に、の身体は温かい観月に抱きしめられていた。

観月は芯まで冷えたの指先を暖めるように手を握り、愛しそうに小さな身体をきつく抱きしめる。





「せ、先輩・・・っ」


「寒かったでしょう・・・こんなに冷えて」


「そんなこと・・・ありませんよ・・・先輩に何もしてさしあげられないままで…」


「いえ、この花束。部費から出したということ意外は最高のプレゼントですよ」


「ありがとう・・・ございます」






心から微笑む無垢な笑顔を、ずっと守りたいと思った。

もしかしたら僕は今までどんなにひどいことをにしていたか分からない。

でもこの想いはなんら偽りの無いものなのだから退くようなことは絶対にしない。




どんなにきつく、自分の元からすり抜けていかないように抱きしめても抵抗をしないに観月は確信する。

潮時













「愛していましたよ、。今も、これからも」




まだ中学生だというのにこんなに重たく感じる言葉をは受け取る。

そして送る。

同じ言葉。




「私も、『愛しています』ですよ」




想いが通じ合うことがこれほどまでに心地よく、力強いとは観月も知らなかったのではないだろうか。

普段はほとんど笑わない彼だが、今回ばかりは瞳に涙をいっぱいためてに向き合った。

自分の頬に触れるの冷えた指が新鮮で。

余計にもっと、愛しくなって。









「これからもマネージャー頑張りましょうね、観月先輩」








外灯に照らされて伸びる影が、その後すぐひとつに重なった。













それは夏になるにはまだ早くて、夜を肌寒いと感じる初夏の出来事。




































































そしてその場面を見ていた一行。




「おい、どうするよ。もう冷やかせなくなったぞ」


「まあ仕方ないよね。まさかも観月が好きだとは思わなかったんだから」


「でも邪魔はできるだーね」


「それはに悪いですよ」


「でも観月にはいい薬だーね。もしかしたら雨降って地固まるかもしれないだーね」


「クスクス・・・柳沢、もう地は固まってるでしょ」



























fin.




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