刻まれない誕生日
「敦盛さーん!」
まだ朝早いというにもかかわらず、有川家には少女の声が届く。
けれどその声は有川家の中から聞こえてくるものではなく。
「神子・・・?」
「こっちですよ」
敦盛は声を頼りに辺りを見回す。
ようやく一周したかというとき、窓からひょっこり愛しい人の笑顔がのぞく。
その顔を見て敦盛は優しくため息をつくと、龍神の神子。の映る、窓へ歩く。
「神子に名を呼ばれないとあなたを見つけることができないなど・・・八葉失格だな」
軽々と自虐的な台詞を言ってみたものの、敦盛の顔は晴れきっていた。
あの世界で戦っていたときからはほとんど想像もできないすっきりとした顔。
「じゃあ頑張ってください、何回でも敦盛さんに付き合いますよ」
「では私も頑張ろうと思う」
「ふふっ・・・敦盛さんって今日何かする予定あるんですか?」
「いや・・・特に決まってはいない」
可愛らしく首を傾げて問い、返事を聞いて頬を紅潮させる。
そんなくるくると変わっていくの表情は、誰が見ても飽きない。龍神に愛された少女なのだから。
「じゃあ敦盛さん、今日は一緒に出かけませんか? 今日は日曜日だから学校は無いんです」
「そうか、私でいいなら・・・かまわない」
「やった! じゃあとりあえず私、支度してきますからちょっと待っててください!」
敦盛の返事も待たずに私室へと戻っていったは、本当に敦盛が『ちょっと』待っただけで支度を済ませていた。
再び自分を呼ぶ声がすると思うと今度は窓にはいなくて。
代わりになのか、玄関から声が延びて。
髪を結っているが立っていた。
「駅までとりあえず行きましょう」
「そうだな・・・」
髪を結うところなどほとんど見たことも無く不慣れだ。
神子には・・・私の今の顔は見られてしまっただろうか・・・。
制服という衣を身に着けなくともこれほどまでに美しく清らかなあなたと出かけられるなど、私は幸運なのだろう。
怨霊の身でありながらその存在を真正面から初めて受け止めた少女。
なんと、きれいなひとなのだろうか。
ふと、独り考えにふけっている敦盛を見るに見かねたは声をかける。
「どうしたんですか? なんだか元気無いみたいで…」
「そんなことはない。ただここに、この世界のこの場所に存在し続けていることがこんなにも嬉しいものだとは思わなかった」
「私たちの世界、楽しいですか?」
「ああ。この世界に来て平家の行く末も分かった」
「『平家物語』・・・ですね」
「そうだ。あの書物は・・・本当の歴史なのだな・・・」
「・・・気を落とさないでください。私、敦盛さんと楽しみたくて誘ったんですから」
自分のため?
そう聞き返してもは全てを知っているかのように微笑むだけで。
今の敦盛にはその先にある意図さえ読み取ることができなかった。
「感謝する」
「ほらほら、そういう言い方。今日は無しですよ?」
「すまない・・・」
「じゃ、史料館行きましょう!」
「しりょう・・・かん?」
「いろんな国の歴史作品とかを展示してるんです。確か今月は『源平合戦の史料』ですから」
「源平の史料か・・・」
「きっと敦盛さんの知ってる物もあるかもしれませんし」
「そうだな・・・その場所は遠いのか?」
「いいえ、結構近いですよ。電車で駅3つです」
軽く返事をすると、2人は鎌倉名物である江ノ電に乗り込んで移動した。
その日の天気はくもり。
朝は晴れていたが、今となっては空が今にも泣き出しそうな血色だった。
だが史料館につくまではなんとか天候も持ちこたえ、少し暖房の入った資料館へと入ることができた。
「敦盛さんほら!」
誰よりも早く中に入り、は1番にある物を指差す。
それは
「私の・・・笛か・・・?」
「そうですよ! 青葉の笛ですって」
「そうか・・・残って・・・いたのだな・・・」
「よかったですね」
「ああ、いつも兄上と音を合わせた笛で・・・京に行ったときに返そうとした物だ」
京に行ったとき。
それがと敦盛の歴史上初めて会った地である。
夜もふけて春の夜風が心地よく吹く中。
なにやら騒がしい声がしたと思って庭へ出ると、高い壁を軽々と飛び越えて敷地内に入ってくる敦盛がいた。
かけよって侍に見つからないようにかくまったのだ。
「私が守りますから」
今でも敦盛はその言葉を覚えている。
ほんの同年代くらいの少女が自分を助けたのだから。
同年代はよけて考えてもましてや女性が源氏の侍から守ってくれた。
去り際には自分の身まで案じてくれた優しいひと。
あの人のおそばにいることが自分に許された幸福なのかもしれないと、そう思うと心が軽くなった。
ただの戯言。
ただの理由。
ただ、そばにいたいが為の。
そんなことを思わせてくれた女性との思い出の品…になるのだろう。
この笛は年季の入った笛へと変貌を遂げていた。
「物は・・・変わるのだな。あなたは変わらないというのに」
「私は変わっていきますよ。敦盛さんだって初めて会ったときよりずっと素敵ですよ」
不思議だった。
ただ1文の言葉がこんなにも人の心を動かせるものなのだろうか。
笛を見終わっても2人は展示室を片っ端から見た。
実物を見たことがあった物や、九郎あるいは弁慶、仲間の所持品を見て回った。
けど敦盛の脳裏にはあの笛が忘れられない記憶として再度焼きついたのだった。
「今日は・・・ありがとう」
「うん、どういたしまして。でも・・・」
「雨・・・か」
そう。
空は泣き出してしまったのだ。
「傘。使いますか?」
「いや、神子が使うといい。私は大丈夫だ」
「いいですよ? 今日は敦盛さんの誕生日なんですよね、だったらこれくらいさせてください」
「だが・・・」
「あ、分かった! じゃあ一緒に入りましょう。少し小さいけどまだ濡れないですよね」
いわゆる相合傘である。
18歳と16歳の少年と少女は駅へと続く道を、1本の傘で歩く。
「お誕生日、おめでとうございます。敦盛さん」
もはや忘れかけていた自分の生まれた日を。
祝ってもらうなどこの短かった人生で何度目になるのだろうか。
「実は今日は、それが言いたくて誘ったんです。ちょっと大きすぎるリスクでしたね」
ごめんなさい、と苦笑するの髪が雨に濡れている。
朝せっかく結った髪もだんだん崩れてきている。
雨とは、なんという現象なのだ?
神子の笑顔が曇っていく、そんな様子は見たくないと思って。
無意識のうちに、こんな
「えっ?」
「私は十分満たされた。神子、次はあなたに満ち足りた人生を送って欲しいんだ」
はふふっ、いつぞやよりも上品に微笑んで。
「じゃあ、ずっとそばに居てください。敦盛さん」
私がこんな人柄になれたのも神子のおかげだ。
だから私は、神子の望む役目を精一杯こなそう。
刻まれるはずの無い『誕生日』に誓って
fin.
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